20世紀最大の環境破壊~消えた湖~
みなさんは『アラル海』をご存じでしょうか。中央アジア西部の内陸湖であるアラル海は、かつて世界4位の大きさを誇った湖であり、日本の北海道とほぼ同じ大きさの湖沼面積でした。その巨大な湖は現在消滅状態にあるのです。いったいどのようにしてアラル海は消えてしまったのでしょうか。
■かつて砂漠のオアシスであったアラル海
アラル海には、1960年代まではシルダリヤ川とアムダリヤ川の二つの川がそそぎ込み、雨水や雪解け水が流れ込んでいました。1940年代にソ連は『自然改造計画』を実行し、綿花栽培のために大規模な灌漑を始めました。1950年代にはアムダリヤ川の中流域にカラクーム運河を建設し、トルクメニスタンの首都アシガバードのほうにアムダリヤ川の水を流すようにしました。その結果、1960年頃を境にアラル海の面積は急激に縮小をしてしまったのです。アラル海に注ぐ河川水量と蒸発とのバランスが崩れ、急激にアラル海が干上がってしまいました。湖の塩分濃度が上昇し、肥料や化学物質で汚染された湖底が露呈しました。この土壌が風に吹かれて周辺の耕作地に広がったため、耕作用にさらに多くの水が必要になってしまったといいます。1970年代には湖縮小の影響で塩分濃度が上昇し、魚がとれなくなりました。1980年代にはコクアラル島が地続きになり、世界的にアラル海の行く末が危惧されるようになりました。1987年までに水分の60%が失われ、水深は14メートル減少しました。その影響で雨が降らなくなり、周りの緑地もどんどんと砂漠化をしてしまいました。気温の変化を和らげてくれる水がなくなったために、冬はいっそう寒く、夏は一層熱くなったといいます。
■分断された湖
1989年、アラル海は小アラル海と大アラル海に分断されました。周辺の湿地帯は干上がり、渡り鳥が飛来しなくなりました。大アラル海の塩分濃度は1993年に海水を越え、2000年には海水の2倍に達しました。塩分に強いはずのカレイですら死滅して、とうとう漁業が不可能になってしまいました。この影響で多くのアラル海周辺の生物が死滅し、周辺の村も廃村と化しました。追い打ちをかけるように干上がった湖底からの砂嵐で、住民の健康被害や植生の破壊が引き起こされました。 2005年には大アラル海がさらに東西に分断されました。これら人的要因による環境の急変は、『20世紀最大の環境破壊』と言われています。 湖が死ぬ影響は、生物死滅や漁業の崩壊だけにとどまらないのです。水不足と様々な健康被害により多くの町がゴーストタウン化し、犯罪が多発するようになりました。
■現在のアラル海
アラル海は現在、船の墓場となっています。湖が干上がるスピードが速すぎたことで、船を避難させられないまま、身動きのとれなくなった船が現在もいたるところに放置されているのです。そんなアラル海を再生するために、様々な取り組みがなされています。小アラル海には、2001年に『シルダリヤ川流路管理及び北アラル海プロジェクト』が始まり、2005年に全長13kmのコカラル堤防が完成しました。この堤防のおかげで小アラル海の水位が飛躍的に上昇し、面積が1.5倍に、水位の上昇で塩分濃度は半減しました。その影響で漁獲量も回復をしました。一方大アラル海は、今のままでは2020年には干上がってしまうと予想されています。仮にアムダリヤ川の灌漑を全てやめたとしても、回復までに75年もの期間がかかってしまうという説もあります。大アラル海の再生案は多く出されていますが、利害関係や政府の対立のこともあり、なかなか計画が進まずにいる現状です。せめて塩害だけでも防ごうと、干上がった湖に植物を植える活動がされていますが、貧しい周辺住民が冬場の燃料として刈り取ってしまうためになかなか上手くいっていないのです。
■20世紀最大の環境破壊
かつて漁業が盛んであった巨大な湖が、たった数十年で人の生きることのできない不毛の荒野へと化しました。人が栄えるために、一度失った環境を取り戻すことが、いかに難しいかを示しています。この事実を受け止め、今後の地球環境を守るための教訓にしなければなりません。